魂の不死について(から得た負けヒロイン話)
今回私が書きたいことはタイトルの通りです。
プラトンがパイドンに託した思いが、負けヒロインマニアにはたまらなかったという話です。
哲学の話ではなく2次元オタク的な話題に結局落ち着く感じです。
ブログでいきなり壮大なタイトルが出てくるとmixiコピペを思い出しますね。
このコピペに触れたいからタイトルに変な()を付けた側面はあります。
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コピペ元:http://fox0326-paste.blogspot.com/2010/01/blog-post_9652.html
このコピペよろしく、ブログの方針を転換しプラトンと張り合った自分の浅学丸出しな批評をぶつけたいわけではありません。
ただ読んだ本のどこが美味しかったのか書くだけとなります。
改めまして、今回私が読んだのはプラトン全集(岩波書店)のⅠに収録されている「パイドン」です。
プラトン全集〈1〉エウテュプロン ソクラテスの弁明 クリトン パイドン
- 作者: プラトン,今林万里子,松永雄二,田中美知太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/01/25
- メディア: 単行本
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パイドンの副題は全集では「魂について」、岩波文庫の方では「魂の不死について」となっています。
なぜこんな重々しい話を読もうと思ったかというと、本題から逸れそうなので簡単に述べますが、
です。中島氏については過去の記事を参照ください。
パイドンのあらすじとしては、死刑当日を迎えたソクラテスが、パイドンを始めとする弟子たちに「知を求める者ならば死を恐れるな」ということの論証を行う、というものであると私は認識しています。
正直冷めた目で見ますと、死を目の前にした人が希望を見出そうと必死に屁理屈こねる話とも思えます。
しかしながら「我々が≪美≫(本来的なるもの)を感じるのはどのようにしてか」、「魂が不死と言えるのは何故か」などをトピックとした、個人的に興奮できる論理展開が目白押しで面白い作品です。
さて、ここから徐々に私の性癖を中心とした話へ移っていきます。
なぜパイドンから性癖の話へ転換されるかと言いますと、上でも書いた死への姿勢がきっかけです。
詳しく言えば、「『死』という人間にとって不可避な悲劇(と一般にされるもの)に対し、ひるむことなく立ち向かう姿勢」です。
この姿勢が個人的理想の負けヒロインの在り方と重なりました。
パイドンの中でソクラテスは、『死』を「肉体から解放され『本来的なるもの』を知覚できるようになるためのプロセス」であるとし、それ故「知を求める者ならば死を拒む理由がない」としていました。(多分)
ちなみに、自殺に関しては「我々の支配者である神の意思に反して生を投げ出すのは神を怒らすのでNG」と言っていた気がします。
以上の構図が大変美味しい。
もうここからパイドンの話はほぼ消えていきます。
この構図を負けヒロインを含むストーリーへと適用し、
「『恋愛レースで敗北する』という(プロット上)不可避な悲劇(と一般にされるもの)に対し、結果としてそれがヒロイン自身の成長・幸福につながるような状況が作られている」
と私はこじつけました。
そういう構図好き。
以下具体例(「冴えない彼女の育てかた」のネタバレを含みます)
上の状況を聴いて思い浮かべるのは、ライトノベル「冴えない彼女の育てかた」(以下冴えカノ)の負けヒロイン、澤村・スペンサー・英梨々です。
リンク先:Amazon|冴えない彼女の育てかた キャラクターイメージソング 澤村・スペンサー・英梨々
(画像探して権利考えるのだるいのでamazon貼りがち)
この冴えカノは完結済み作品で、最終的に主人公が数あるヒロインの内から1人を選んだもんですから大量の負けヒロインを輩出しました。
そんな敗北者らの中でも随一の負け具合を誇るこの英梨々は、某匿名掲示板の「負けヒロインスレ」や「幼馴染スレ」において頻出な逸材です。
その理由としては
- 「幼馴染」という負けヒロイン属性を持ち、幼いころに勝ち寸前まで行っておきながら期待を裏切らず負けた
- 作品を通して常に嫉妬役を買って出るなど終始負けそう
- 作品内で肩を並べる負けヒロイン霞ヶ丘 詩羽はスピンオフ漫画にてルートが描かれた一方、英梨々メインのスピンオフ漫画はifルートへの分岐を匂わせて終了
- 劇場版でもボコボコ
といった辺りかなと推測しています。
では上で挙げた状況と英梨々がどのように重なるか書いていきます。
英梨々が主人公とくっつけなかった大きな理由として、「主人公の近くにいると自身の才能を伸ばせないから」というのがあります。
簡単に言うと「家だと勉強が捗らない」みたいな話です。
この事実に気づいた英梨々は主人公から一度離れるという苦渋の決断を行います。
つまり、英梨々が才能を伸ばすためには負けヒロイン度を高めなければならないという構図が展開されているわけです。
裏を返せば、英梨々には「恋愛レースには負けるものの、一方で成長できる部分がある」のです。
この「自身が持つ才能を伸ばすよう生きることは幸福の内の1つだ」という在り方にも多少文章を書ける自信があります。
前に読んだショーペンハウアー著「幸福について」というTHE 自己啓発みたいな本の1節で同様の幸福観が語られています。
しかしながら記事のまとまりがどっか行くので今回は控えます。
話が少し逸れましたが、「英梨々の敗北には1つの積極性がある」ということです。
ヒロインレースに関して、
「○○なところがダメだったから負けたんだよ~」
とか
「正ヒロインの立ち回りが強かったな~」
といった、「負けヒロインが正ヒロインに劣っていたから負けた」に終始する作品もままあるように思います。
それはどちらかと言えば、主人公に選ばれたか否かという消極的(受動的)な理由に尽きるタイプです。
私はそれも十分楽しいと思いますが、この英梨々は(選ばれなかったという受動的理由も勿論ありますが)積極的理由&ヒロイン1人で完結した理由があって負けており、一味違って大変楽しいということなのです。
『死』に対して、「肉体から逃れることが出来、また魂も不滅であるため死を恐れる理由がない」という、死への積極性があるように思います。
この悲劇に対する積極性、悲劇に対しても強くあるという在り様、興奮せざるを得ません。
別に負けヒロインがこうあるべきだ!と主張したいわけではないです。
私にとって格別に楽しいのはこういうタイプだ、そしてその着想はパイドンから、という話でした。
※あとがき
気合入れて書いていた記事が別にありまして、それをうっかり1週間ほど寝かせた所やる気の再着火が困難で、それ以降に思いついたこの記事も同様に数週間ほど眠らせることとなってしまいました…。
これもなんちゃって完璧主義の悪いところが出ちゃった形ですね…。
改善したいものです。
しかし現在ランス10で忙しいので次の記事がいつになるかは分かりません。