ネオ管巻きの場

日記テイストに、思った些細なことを表明するブログです。

ごっこ遊びと裏切り

創作中と現実で、同じ行為であっても創作の中なら楽しめるという話を見かけます。

それについて考えました。

やらせやFRIDAY報道で激怒する人とそうでない人の違いにも繋がっていく話です。

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例えばアイドル活動で、2次元なら楽しめるが3次元はダメ

似た話で、アイドルマスターは良いがVtuberはダメ

他には、現実の駅伝には興味ないが『風が強く吹いている』は楽しめた

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画像元:TVアニメ『風が強く吹いている』第3弾PV(箱根駅伝スペシャルver.)が解禁! | アニメイトタイムズ

なんて人がいます。

 

 

この違いについて思うのは、

その人がどの解像度でごっこ遊びに興じれるのかが違う

ということです。

 

ごっこ遊びは、オタクコンテンツに向き合う際によく見られる構図です。

「そんなの現実で起きないやん」

「それやっても現実では何も変わらんよ」

という寂しいツッコミを飲み込んで我々は創作物を楽しんでいます。

言ってしまえばRPGとギャルゲはまさしくこれです。

 

そして「アニメが子どもっぽい」という原初の論調もこれが根底にあるからだと考えています。いい年してごっこ遊びに熱中するなよ~といった視線ですね。

正直アンパンマンショーを楽しむ子どもとやっていることは似ています。

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画像元:イベント内容|それいけ!アンパンマン イベントインフォメーション

 

 

さて本題に戻りますと、問題はどの前提でごっこ遊びを始めたかということになります。

 

アイドルの清純さ・懸命さを楽しみたい場合で言えば「その人は裏で遊んでいるか、キモいファンを嘲笑していないか」が前提の対称です。

ここで重要なのは、前提を全て飲み込められればごっこ遊びは始められるということ。

「多分この人もちゃんと彼氏/彼女がいて楽しんでいるんだろうな」

と思った上でアイドルを楽しむことは可能です。

 

Vtuberの例で言えば、中身の話が飛び交っている中でもキャラを見つめ続けて「あ゛!!!!!」とか「マンマ…」とか言っている人がいます。

これは"中身がキャラの設定と大きく異なるかもしれない"という前提を飲み込んでVtuberに向き合っているんだろうと思います。

 

逆に以上の前提を知りながら飲み込めない人は、同じ感じでは楽しめません。

しかしそんな人は前提をグレードダウンして楽しめる場合があります。

2次元がそれです。

2次元を楽しむ上で必要な前提は「これは創作である」ぐらいです。

そこを超えればストイックで健気で一生懸命な姿と向き合えます。

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画像元:アイカツオンパレード! | アニメ動画見放題 | dアニメストア

3次元からが普通みたいな書き方をしましたが、その限りではないです。

2次元でのごっこ遊びに慣れたから他が厳しいということもあるでしょう。

 

 

まとめますと、以上書いてきたように

ごっこ遊びを始めるにあたって受け入れた前提が違うから、同じ活動を見るにしても具合が人さまざまになった

ということなのです。

 

 

さて、今回の話はまだ続きます。

思った方もいるかもしれませんが、上で挙げたジャンルにはあたかも真実のように全力投球で見つめる人もいます。

その人らから見えてくるのが、

前提を知らずにごっこ遊びを始めてしまった人

の問題です。

 

全力で楽しむのは問題ありません。

前提を知っていれば受け止められるはずのことが共有されたときが危険なのです。

そこで感じるのは「信じて没入していたことからの裏切り」です。

裏切られた感覚は、怒りや不満を抱かせます。

その後のことはネットを見ていれば分かるでしょう。

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些細な例ですが、ガチだと思っていたTV番組がやらせと分かった時の失望感もそれです。

未だに『逃走中』への恨みをネットで見かけますからね。

 

 

前提について、何が必要で何が飲み込めるかを理解できるかが大事です。

自らが非現実と向き合う時もそうですし、前提を誤ってブチ切れている人を見る時にも今回の考えを頭の片隅に置いておいてもらえると嬉しいです。

また、飲み込んでいる前提を知らずに非難してくる人もスルーして良いでしょう。

そんな創作を楽しむ上での姿勢の話でした。

 

 

余談

この"オタクコンテンツへのごっこ遊び"という考えは、東浩紀著『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』からいただきました。

本の中では「どうせ主人公が勝つ」と分かっていながらヒーロー活劇を見る姿勢を例として”ごっこ遊び”と言われていた気がします。

(内容と作者についてはこれ以上触れません)