ネオ管巻きの場

日記テイストに、思った些細なことを表明するブログです。

なぜブログを始めたのか(対外編)

どうも。


投稿日時の概念を理解していなかったので初記事から10日以上放置したみたいになっておりますが、実際には週1ペースです。

さて今回は、「なぜブログを書くことにしたか書く」という自分語りをし、インターネットにゴミを放出する感じの記事です。
※本来は1記事に理由を全て列挙するつもりだったのですが、存外長くなったので「他者にも多少関りがある理由」に限定して書きます。

 



まずタイトルについて述べます。
「ネオ管巻きの場」
twitterに代わる新しい管巻きの場という意味です。Google検索で埋もれる程度には斬新さのないネーミングです。

twitterはその性質上、長々物事を語ることに向いていません。
たまに5,6ツイートにまたがってモノ申している方もおられます。が、それを見て気持ちがいいと思ったためしが無いので私はしないと心に決めております。

ネットに巣くう存在たるもの、現実以上にネット上で饒舌になるのが恒例です。
そんな饒舌で早口、現実ならツバがスプリンクラーのように飛び出るような調子で語りたいことをtwitterに綴るのは困難なように思います。
だから新たな管巻き場としてブログな訳です。


次は長々語る必要性について
元々twitterを始めたきっかけは、恐らく「自分が何か発信したい」ということが無意識的に精神から要請されているんじゃないかって思ったからなんです。
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ちなみにこの精神に関する考えは河合隼雄著「コンプレックス」を読んだ時に生まれました。

コンプレックス (岩波新書)

コンプレックス (岩波新書)

 

コンプレックスとは何たるか、異常心理の具体的症例とは、如何にしてコンプレックスが解消されるか、などが書かれていて面白かったです。



頭の中で「○○って言ったら面白いだろうな」とか「ご高説垂れて~~~」という思いが日常の中で屡々生じていたんですよ。まあ今でもたまに起こりますが。

①その思いは大抵現実世界で口には出されずどこかに行きます。
②激推しな内容の場合、忘れたと思った頃脳内に再誕します。
③以下①と②のループ。
EX)ひどい場合は脳内講演会が開かれます。

これはまずいなと思ったわけです。
集中が切れて関係ない方向へ思考が行った際、あるいは今から寝ようと目を瞑った際、脳内ご高説が発動するんですから。
講演会の場合は大抵楽しさドバドバで、興奮して眠れるわけもなくなります。

こうして上で書いた無意識云々にたどり着きました。



twitterを始めた効能は中々で、140字ないしは280字程度の語りたいこと、下らないことはそこまで脳内に出現しなくなった気がします。
むしろ面白いことを呟きたいという気持ちが先行してダダ滑りをかますことがあったくらいには呟くことが消えました。
最近はそこそこマイペースに使えるようになったと思います。


ご高説の方は、1人wordに千字程度で文字化することで治まるテーマもありました。
しかし、――ここからがブログ開設に至る一因なんですが――ご高説のテーマの内、会話中「目の前のこやつならば受け止めてくれるだろう」という念を湧かせてくるものがあるんです。
その念が湧くと隙あらば私は元気に勝手に1人語りを始めます。
男が1人語りをいかに好むかは”俺通信”という概念が物語っています。俺も好き。

この1人語りの悪質な所は、別段議論を呼ぶような内容ではないのがほとんど、という点です。
つまり会話中で繰り出せば「へ、へぇ~…^^;」で終わるんです。
それこそ「ブログにでも書いてろよ」って話なんです。
会話のキャッチボールでもドッヂボールでもない、もはや砲丸投げを展開するんです。
rikujou_hougannage
この営みが私以外にとって愉快かと言われると疑問が残りますし、ブログという対策が既に出ています。

そんなこんなでブログを始めて長々語るべきと思ったわけです。


ひとまず対外編はこのぐらいです。
「自分が語りたい」という思いが落ち着き、その分他者に対して関心を持てればお互いにとって良いのかなと。
果たしてブログによってそのようになるのか、飽きてただの黒歴史制作に時間を浪費しただけになるのかは分かりませんが、何かプラスになればいいですね。